
Introduction
とある夜の街に、
憂の多い日々を夜な夜な笑い飛ばす愉快なお店「BAR折姫」はあります。
美魔女で純な折姫ママと愉快な仲間たちが暮らすこの街に、
「女王」が帰ってきて……。
面白おかしく、ちょっと寂しい……そんな人生の一場面をどうぞ。
Story
日頃の鬱憤(うっぷん)や悩みや愚痴を、短冊に書いてお焚き上げしてくれる「BAR折姫」。
優しい美魔女(魔法使い)な折姫ママのもとに夜毎愉快な仲間が集まり、
時に静かに、時に賑やかに、憂鬱な毎日を笑い飛ばして過ごしておりました。
そんなある夜、「BAR折姫」のある街に、かつての女王「ゴンザレス」が戻ってきます。
古くから住む街の人々は、女王と折姫ママを会わせまいと大騒ぎ。
女王ゴンザレスとは?
BAR折姫はどうなるのか??
彼らの賑やかな日々を、少し聴いてみませんか?
Movie
※この音声ドラマは、特定の個人や団体等、実在する方々を差別、侮辱するために制作したものではございません。
非実在の想像上のイメージで制作した創作物であり、「長年~それなりの付き合いのあるコミュニティの人々が、皮肉や罵りとも取れるような言葉を使って内輪だけで通じる親しみを持ったコミュニケーションをとっている」様子を表現したものです。
作中の言葉や表現を用いて特定の人物を誹謗中傷することや実際の日常生活での コミュニケーションをとることはおやめください。※
Dear all
「ちょっとぉ、あんた寄ってかない? 本物のオカマよお!」
という声に振り返ったのは、2013年8月31日の夜のことでした。
新宿某所の繁華街。21時ごろの呑むにはいい時間帯。
人気の多い繁華街を定宿へ向けて急いでいたとき、そう言って呼び止められたのです。
「最後よ! 最後のオカマよ!」とその人が続けたのは、翌日9月1日から施行された『新宿区公共の場所における客引き行為等の防止に関する条例』のために、翌日からはこうしてその街を歩くだけでは「オカマ」に会うことができないという意味だったのだと思います。
(その人のいるお店は、女性も入店可能なところだったのでしょう)
その時、当時殊に「オカマ」という言葉を忌避していた私は、今もその言葉を自ら用いている当事者がいることを知りました。同時に、その言葉に対して自分の中に怯えがあることに気づかされました。
世の中には、使うことを忌避される「言葉」が在ります。
一般的には男性同性愛者の蔑称として認識されている「オカマ」という言葉も、そうでありそうであった方が良いものなのでしょう。
男性同性愛者の一部の方々が自称される、あるいは表される言葉。
ゲイやホモ・セクシュアルとはまた違った言葉。
そして、あまりにも多くの人にいろいろな感情や意味を与えられ蔓延した言葉。
さまざまな意味を与えられ、人を傷つけるための道具にもされる。
そういったこともあるため、今回公開する『オカマバー折姫』を書き、タイトルを考える際、本当にこれで良いのかと考えていました。
ただのバー折姫でも良いと思った。けれどもあえて付けたのは、つけなければ作品の主旨に反すると考えたからです。
この企画は「オネエになりたい男性声活動者」が多くいると聞き、それならばと、本当に演じたいという方々を募ったことで始まりました。
「クィアな存在」であることへの憧れや演じたいという気持ちは、個人的に共感でき、また尊重されて良いと思うのです。
同時にその気持ちは誤解を招いたり、当事者へ不快感を与えるということもあります。
実際のところ、彼らが演じたい「オネエ」というのは、多くの場合が「メディアで広まった女性的な容姿で女性性の強調された言葉を使うステレオタイプの「オカマ」のイメージを体現した『キャラ要素』」なのだと考えています。
実在する同性愛者やトランスジェンダー、ドラァグクイーン等はおそらく前面的には想定しておらず、一部の当事者である表現者の方々がテレビ等で見せてくださる「オカマ」や「オネエ」と表現されるかしましさやパワフルさの方に惹かれているのだと思うのです。
その気持ちはわかります。
彼ら、彼女たちの独特のコミュニティ、雰囲気を自分たちも味わいたい、そうなりたいという願望のようなものがそこにはあると思うのです。
だからこそ、今回はあえて、タイトルにも作中にも「オカマ」という言葉を用いました。
「オネエ」を使うことも考えましたが、ふんわりとした言葉で繕うことで生まれる弊害もあるでしょうし、厳密に言えばその言葉が表するものと彼らが考えているものはおそらく違うと考えました。
もちろん現実に即して考えれば、男性同性愛者の方に関わらず、人様を大雑把に分類し特定の言葉を用いて呼び、カテゴライズすることほど暴力的なことはなく、厳密に括ることもできないと考えています。それは、フィクションであっても承知の上で創作する必要があると考えます。
今回は、「オカマ」を自称している方もいることや、その言葉を決して侮蔑の意味などではなく、これまで培われてきたイメージや文化(コミュニティや雰囲気等)を表すために使用している方もいるということを考慮した上でさまざまな事情を鑑み、あえて「オカマバーを営む折姫とその仲間たち」のお話にしました。
変えたり消したりするべきなのは、言葉や文化ではなく差別をする人の心ではないでしょうか。
オネエだろうがゲイだろうが、名前が変わっても、そこに差別する心が加われば結局は同じことになってしまう。
性別や性的指向に関係なく個々人が尊重され、それぞれにあった心地よい人生を送れる社会になるよう、一人の人間として願っております。
2020.09.27 あんでぱんだ 中矢 入文



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