生きていれば、決して忘れたくないことがあるものですが、同時に忘れてしまった方がいいこともあると思います。 忘れたいのに忘れられなくて苦しむなんてことも……。 寺山修司は「思い出すために」という詩を書きました。
ずっと覚えていては、思い出すことができない。 「思い出す」という行為のために、大事だからこそ忘れたい。 一方、その後彼が撮った映画『田園に死す』の中で、主人公の「私」は過去(思い出)を題材にして書けば書くほど全てが虚構になっていくと感じ、「書かずにしまっておけば、それは自分の核になったかも知れなかった」と述べます。 それに対して作中の映画評論家は、
「人間は記憶から解放されない限り、ほんとに自由になることなんかできないのだよ」
と答えました。
過去を作品に昇華すればするほど、「自分」の中身が空っぽになっていく。 それはいつか枯渇するかも知れない創作者としての自分に対する不信感や焦燥感なのかもしれません。 ただ、書いて出してしまうことで、心が楽になるのならば、何処かの誰かの何かになるかも知れないならば……、 「記憶から解放され」て初めて、創作者としての自分は「自分」として生き始めることができるのかも知れない。
これからここに、私の忘れてしまいたい……けれども忘れてはならないことを書いておきたいと思います。 現在制作中の同人ゲーム『ツギハギ城の絲の庭』は、私、中矢入文によるセルフリメイク作品となります。 元は、中学二〜三年生だった2004年1月頃〜5月初頭までにB5サイズの大学ノートに鉛筆で描かれた漫画でした。タイトルは、「心の中の摩天楼」。当時、迷いに迷ってつけたけれども、やっぱり何か違うな、変えたいと不満を持っていたことを覚えております。 学校へ漫画を描いたノートを持っていけば、幾人もの友人が読んでたくさんの感想をくれる。そんな恵まれた環境で描いていました。 ただ、出来上がった漫画は、結末や設定にどうしても満足いかず、必ず続編を描きたいと考えていました。
同時にリメイク前の漫画を描いていた当時の私は、その漫画を描きながら日々不安に苛まれていました。
母がいつ死ぬかわからないという状況にあったからです。
病院に連れて行こうにも本人に拒絶され、誰か他の大人に相談しようにも誰を頼ればいいのかわからない状況でした。
本当のことを話してくれない母。
心配しつつも何もしない父。時には母を罵倒します。
はたから見れば明らかにおかしい状況だったのですが、私は動くことができませんでした。
学校の先生に相談してもいいのだろうか、相談してみようかと何度も考えました。
祖母に連絡したいけど、母は強い力でそれを阻止します。 今思えば、叔母の家に駆け込んで電話を借りても良かったし、公衆電話を使えば良かったのだろうし、先生に相談しても良かった。きっと何かできずとも助言はくれたのかもしれない。
けれども、当時の自分は何もしませんでした。
家の雰囲気に絡め取られて動くことができなかったと言ってしまえば、それは言い訳ですね。 今の自分の状況は、じわじわと時間をかけて人殺しを行なっているのと同じなのではないか。そう思いながらも、自分の好きなものを糧に大丈夫だと言い聞かせながら日々を過ごし、その中で漫画を描きました。 そして、その漫画が出来上がった1ヶ月半後、母は他界しました。 2004年6月21日のことです。 その後一時期、私はBLをはじめとする性描写のある作品を敬遠していました。
好きだった、読みたい……だけどいざ開くと嫌悪感に襲われる。 幸いそれは本当に一時のことでしたが、同時に創作もあまり行わなくなり、数年間の生活リズムや将来への思い込みなどから精神面を崩し、創作から離れていました。 それでも、何か作りたいという気持ちは変わらずあって、頭の中には描きたいお話がたくさんあり、それらの設定もどんどん増えていきました。
母が死んだ時、お腹の中にいた赤子も一緒に死んでしまったのですが、
その出来事は、「ツギハギ城の絲の庭」の設定の土台を作りました。
子供が親よりも先に死んだ時、「賽の河原」というものがよく言われますが、
親の都合で殺される子供や望んでいないのに命を落としてしまった子は、どうなるのかなと考えるようになりました。
現世で苦しめられた子が、どうしてあの世へいってまで苦しめられなければならないのか。
不慮の事故や理不尽な殺人や病気で死んでしまった人、苦労して死んでしまった人は報われるのだろうか。 死後の世界なんて死んでみなければわかりませんが、ただ、せめても想像の中だけでは彼らが救われる世界を思い描いていたいなと思ったのです。
死んでしまった子は、生きていれば今年で15歳。 「ツギハギ城の絲の庭」という形にするまで、同じだけの時間をかけてしまいました。 時間をかければ必ずいいものになるかというとそうではないと思うのです。 けれども、決して自分が後悔するようなものにはしたくない。
当初、今作はc96での完成版頒布を目指しておりましたが、今年の12月まで延期といたします。
今の段階では、こんな作品が作られているなんて誰も知らないでしょう。
完成版を公開してからも、遊んでくれる方がいるかもわかりません。 でも、この作品が自分の本当の再スタートになったらいいな。
そして、いつか自分がこの記事を読んでいろいろなことを思い出しつつ
「あたしって、ほんとバカ」って言いながら大笑いしますように。
ここまで読んでくださった方、いらっしゃいましたらありがとうございました。
あなたが幸せでありますように。
「ツギハギ城の絲の庭」 どこかで見つけられた際は、よろしくお願いいたします。 2019.6.21 あんでぱんだ 中矢入文
Comments