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彼の止まった時間と過ぎ行く彼の季節

二 初夏の屋上にて

君の横顔。
鼻筋の通った意志の強そうな……。
ああ、触れて、確かめたい。
その肌の柔らかさ、温かさ。

僕が触れたら、君はどんな顔をするだろう。

どんな声で、どんな言葉を僕にかけるだろう。

震える僕の手。

震える僕の指先。

押さえ込んで、僕は……

 

20:08 - 2016年5月6日

 

 

 放課後の屋上には、初夏の爽やかな風が吹いていた。
 頭上には、真っ白な雲を浮かべた真っ青な空。
 金網に手をかけて、僕は外側を覗き込む。フェンス越しに見える校庭には、黄土色の土の上にまばらに立つ運動部の生徒の姿が見える。
 僕は、この景色が好きなのかもしれない。
 一般的に考えると、屋上への鍵なんて閉まっているものだけれど、この学校の屋上の鍵は壊れていた。
 何気なく一人になりたくて登った、屋上への階段。
 何気なく開けてみようとした扉。
 そうしたら、たまたま鍵は壊れていて、たまたま僕は屋上へ入れてしまった。
 ……先客がいたけれど。
 僕よりも先に鍵に気づき、ここを秘密基地にしていた彼は、今、僕の側で仰向けに横たわり、真っ青な空を見ている。そのまぶしそうな横顔に、僕は声をかける。
「先生に見つかったら、怒られるかな?」
「だろうね。今の所見つかってはいないけれど……」
 彼は口笛を吹くように細く小さな声で囁くように返答した。
 名前も学年もクラスもわからない、屋上の主だ。
 ただ、彼の横顔が--詰襟から覗くきめ細かな白い肌が、彼の繊細さを演出していて、僕は今日初めて会った彼を気に入っていた。
 金網から手を離す。その手のひらは、僕の体温と初夏の日光で温められ、少し汗ばんでいた。それを目に焼き付けて、ズボンへ手早くこすり付けると、僕は彼の隣へ座る。
 もっとよく、彼の顔を見たいと思ったのだ。
 僕の身体が、彼の顔の上に影を作る。すると、彼の閉じた瞼が一瞬ピクリと動いた。
「何?」
 目を開いた彼が、僕をまっすぐ見つめる。鼻筋の通った、整った顔立ち、意志の強そうな目。彼の表情で、僕は取り込まれそうになる。
「あ……その、暑くない? 眩しいとか……」
「いや、今日はまだ風もあるし、むしろ気持ちがいいよ」
 そう言って彼はまた目を閉じた。
 彼と僕の間に、涼しげな風が吹き抜けて、彼の長い睫毛が揺れる。
(触れたい)
 彼の柔らかそうな白い頬……
 彼の血色のいい薄い唇……
 目の前にあるコレは、どんな肌触りだろう。どんな温度で、どんな柔らかさで……。
 僕の手が伸びる。彼の顔に向かって。
 僕はその手を押さえ、思いとどまる。
(もし僕が彼に触れたら、彼はどんな顔をするだろうか? どんな言葉をかけるだろうか?)
 よく考えれば、僕と彼は、ついさっきここで出会ったばかりなのだ。お互いの名前も、学年もクラスも知らない。
(よく知りもしない人間に触れられるなんて、嫌だよな……)
 僕の手が震え始める。
 その震える手を、押さえ込んで僕は、ただ彼の寝顔を見下ろす。
 触れたい。
 彼をもっと知りたい。
 この衝動をどう抑えればいいだろうか……。
「あのさ……」
 彼がまた目を開けた。
 そして、上半身を起こす。
 そのまま、
「あ……」
彼の唇の感触が、僕の唇に伝わる。
 渇いた薄い皮膚が、僕の唇を伝って、僕の心に動揺という潤いを与える。それが溢れて、僕の目から涙が一粒零れていった。
 その一粒を、彼が親指で拭う。
「ごめん。なんか、じっと見てるから、こうして欲しいのかと思って」
「え?」
 思いがけず、僕の欲望は果たされてしまって、ただ、その場に固まっていることしかできなかった。
 彼は僕の目の前で、上半身を起こしたままフェンスの向こう側を見つめる。
「キス、したくなったのかなって……」
 そう呟いた横顔に、柔らかな風が吹いて、髪をそよがせていった。
「あ……うん。あの……」
 僕の心が、胸の奥がざわつく。
 手だけじゃなくて、身体全てが震えていた。
 それを抑えて、僕は口を開く。

「ぼく……君のこともっと知りたい……」

 自分の鼓動が、とても近くに聞こえる。
 こんなこと言って良かっただろうか。
 彼はどんな顔をするだろうか。
 そんな心配をしつつ黙っている僕を彼が見る。

「いいよ。君のことも教えてくれるなら」

 そういって彼は少し微笑んだ。

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